暗黒天使の落涙 #001「動き始めた時間」
――亜空間と呼ばれる無限に広がる次元が世界に存在している。
ここは普通の者は決して立ち入る事の出来ない場所。
まだ解明されていない謎も多く、またその存在自体も
あまり多くは知られていない。
だがこの亜空間を自由に行き来出来る者たちがいる。
それは人間ではない存在。そう妖怪である。
亜空間を支配する妖怪は闇撫(やみなで)と呼ばれ、
魔界でも希少な種族である。
その希少な種族の闇撫と一人の人間が出会い、そして破滅への道を突き進み、多くの悲劇が起こった。
私の名前は闇撫の皐月(さつき)。行方不明になった同じ種族の男を捜し続ける者。
私はその男を女として愛していた。突然姿を消した彼を長い年月必死に探して、私はついに見つけた。
でも再会した彼は私の知っている彼ではなかった。
再会した時の彼は悲劇の後で変わってしまっていた。それでも私は彼を愛していた。満たされない想いを胸に私の運命を彼に委ねて、彼の為に私は全てを捧げた。
そんな私に待っていたのは、彼と同じ破滅の未来でしかなかった。最初からこうなることは分かっていた。
でも動き出した運命の歯車は誰にも止められないの。
私は自分の運命を受け入れて破滅へと突き進んだ。
私は常に自分の気持ちに従って動いていた。だから後悔はないって言いたいところだけど、一つだけ後悔していることがある。それは最後まで彼の心を私の方に振り向かせられなかったこと。
私の破滅の未来への旅路をこれを読んでくれている貴方たちに伝えたい。その前に、まずは私と彼が再会したときの話しから聞いて欲しい。
ーー暗い亜空間の中に二人の男の姿があった。
一人目の男は目に刀傷がある。どこか中性的で妖しい雰囲気を醸し出している。そして長く美しい緑色の髪をしている。
刀傷の男の名は樹(いつき)。
闇撫(やみなで)という次元を自由自在に行き来出来る、魔界でも希少な種族でもある妖怪である。
そしてもう二人の男の名は仙水忍(せんすいしのぶ)。
人間である。彼は息をしていなかった。つまり死人である。
魔界の扉を巡る激しい闘いがあった。
魔界の扉とは人間界と魔界の入口に張り巡らされた結界の事を指す。それを作ったのは全ての死人の行き先である霊界だった。彼等はこの魔界の扉を開く為に全てをかけて動き出した。当然、魔界の扉を開けられては困る者たちがいた。それは霊界である。霊界のコエンマは魔界の扉を守る為に、霊界探偵を彼等に向かって送り込んだ。
その当時、霊界探偵だったのは浦飯幽助(うらめしゆうすけ)という中学生だった。浦飯幽助は仲間たちと協力して仙水忍を倒した。倒されたものの、目的の魔界の扉を開けることは成功し、魔界の大地で仙水忍は26歳の短い生涯を閉じた。生き残った樹は浦飯幽助たちの前から姿を消した。仙水忍の遺体と共に。
それから少し時は流れた。
樹は亜空間の中で座り込み、目を閉じて仙水の身体を後ろから抱きしめていた。
自らの魂が霊界に行くことを拒んだ仙水忍は、遺言として「死んでも霊界に行きたくない」
という言葉を樹に残していた。
樹はその遺言に忠実に従い、仙水忍の魂を自らの手元に保存したのだ。
仙水忍の肉体は樹の手により、浦飯幽助との戦いで傷ついた身体を綺麗に治療し、死体が腐敗しないように防腐処理も施されていた。
樹は何をするということもなく、亜空間の中で、自らが死ぬまで、永遠と続くような静さの中で平穏な日々を過ごしていた。
どのぐらいの時間が立ったのだろう?
魔界では王を決める大会が開かれ、初めて魔界が一つになった。
魔界の扉を巡る戦いで、仙水忍と樹と戦った、浦飯幽助、桑原和真、蔵馬、飛影はそれぞれの道を歩き出していた。
彼らの事は樹にとってはもはやどうでも良かった。
今は静かな時間を過ごせれば何も望まない。
これからも永遠に続くと思われた平穏な日々。
樹の止まっている時間。
だが止まった時計の針は、一つの事がきっかけで再び動き始めることとなる。
――亜空間(樹サイド)
俺は閉じていた目を開いた。
俺と忍(仙水)の二人だけの世界に何者かが侵入して来たからだ。
「誰だ?」
俺は静かな声で侵入者に問いかけた。
だが俺の声だけが響くだけで、侵入者は俺の問いかけには答えなかった。
俺は忍の身体をゆっくりと地面に寝かせると立ち上がる。
「俺と忍の時間を乱す者は何人たりとも許さない」
顔には出していないが俺は怒っていた。
俺はそう言うと戦闘態勢に入る。
「影の手よ」
二つの手が俺の呼びかけに応じて姿を現した。
「最後にもう一度聞く。誰だ?」
またも俺の声だけが広い亜空間に響き渡る。
これが最後の警告のつもりだったがもう容赦はしない。
「行け、影の手よ」
俺の声に反応した二つの影の手は、俺の意識した場所に向かって飛んで行く。
カガガ!!!!!!
静かな空間に響く大きな音。これは影の手が相手に与えた衝撃によるものだ。
この亜空間を支配する俺から、亜空間の中で姿を隠し通す事など出来はしないのだ。
「ダメージは殆どないはずだ。姿を現せ」
俺の読みは間違いなかった。
「流石ね」
女の声が聞こえて来た。そして影の手に肩を捕まえられた女が俺の前に姿を見せた。
透き通るような白い肌に美しい容姿。
俺と同じ緑色の髪を持つ女。俺はこの女を知っている。
「お久しぶり」
「お、お前…」
侵入者の正体が予想してない相手だったため、珍しく俺は驚いた。
「探したわ」
懐かしい声だ。
「……皐月」
この名前を呼ぶことはもう永遠にないと思っていた。
俺の止まっていた時間は、この皐月との再会がきっかけに加速度的に動き出すことになる。
そして運命の歯車は、俺と浦飯幽助たちを再び巡り会わせる。そして全ての世界を巻き込む、大きな戦いへと発展していくことになる。
続く