幽☆遊☆白書~2ND STAGE~ #000「プロローグ」
――ここは本当に何もない世界
美しい自然も水も大地も存在しない。
あるのは無限に広がっている空間だけ。
そう、ここは人間が住んでいる世界ではない。
普通の人間では決して立ち入る事の出来ない場所。
この場所は一部の“人を超えた存在”が領域(テリトリー)としている世界なのだ。
この世界を知る者は「亜空間」と呼んでいる。
そしてこの何もない世界には似つかわしくない
一人の女性が歩いている。
この無限に広がっている亜空間の中を慣れた足取りで、黙々と歩いている。
少し幼さが残るが、緑色の長い髪と大きな瞳が印象的な綺麗な女性だ。
女性はある場所まで来ると足を止めた。
その場所には一人の男性が地面に横たわっている。
男性は目を瞑っている。
眠っているのか、それとも死んでいるのか、
それは分からない。だが穏やかな顔をしている。
年の頃は、二十代半ばから後半ぐらいといったところか。
女性はその場に腰を下ろして、男性の顔を覗き込む。そしてイタズラっ子のような顔で男性に声をかけたのだった。
「いつになったら目覚めるのかしら?眠れる亜空間の王子様。まっ、私から見れば貴方は王子様には程遠いんだけどね!
だが、男性には女性の声が届かない。
「フフッ……」
反応を示さない男性に女性の表情が曇る。
「貴方は何もしないで、彼の心を強く惹きつけている。私がどんな想いをしているかなんて、貴方には分からないでしようね…」
切なくて胸を大きく締め付けるのを女性は感じていた。そしてその気持ちとは別に、男性に対して、嫉妬に似た感情も沸き起こっていた。
「私は貴方が時々本当に憎いと思う時があるよ」
女性はフゥ~っとため息を吐くとゆっくりと立ち上がって空を見上げる。
空には周りと変わらない空間が広がっていた。
それから一体どのぐらいの時間が過ぎただろう?
無限に広がる亜空間は何も変わらない。
女性は男性の傍から一時も離れる事をしなかった。
ただ時間だけが静かに過ぎていた。
この二人だけの時間が永遠に続くのでないかと錯覚するほど。
どのぐらいの時間が過ぎたのだろう?二人だけの時間を打ち崩すように、遠くから足音が聴こえてきた。女性にはこの足音が誰か分かっているようだった。
「帰ってきたようね」
この足音が誰だか分かっているようだった。
音が聴こえてくる方向を見つめる。
そして女性の瞳に一人の男の姿が映し出されていた。
女性は男の顔を見ると穏やかな表情になっていく。
現れた男は女性と同じく緑の髪の色をした美しい男であった。
「皐月(さつき)」
男は女性の名を呼ぶとゆっくりと近付いて行く。
「お帰り…。待っていたよ」
男が側まで来るのが待ちきれないのか、
一気に駆け出して男に飛び付く。
その顔は男に甘える女の顔だ。
男の耳元で彼の名を囁くと肩に手をまわした。
しかし男は表情を一切変える事はなかった。
「悪いがちょっと離れてくれないか」
男はそう言うと皐月の手を払いのけて、
彼女から離れた。
男の態度に皐月の表情は曇る。
男は皐月の変化に対して気にする事もなく、
地面に腰を下ろすと横たわる男性を抱き起こした。
「長い間離れてすまなかったな」
男の言葉は皐月ではなく横たわる男性に向けられたものであった。
男は男性の髪を優しく撫でる。
その様子を皐月は切なそうに見守る。
「俺がここを離れている間、何か変化はなかったか?」
男性の髪を撫でながら問い掛ける男の目は鋭く、
真剣そのものであった。
皐月は少し唇を噛み締めて男に答えた。
「…変化はないよ」
「そうか……」
男は皐月の言葉に少し落胆した。
皐月は男の心の内を誰よりも理解している自負がある。
その為、男の気持ちがわかるだけに切ない気持ちが募る。
(早く目覚めなさい。
私にはなくて貴方にあるもの…。貴方が彼を強く惹きつけているものが一体何なのか、私は早くそれを知りたい)
男はいつもの顔に戻ると長い髪を掻き上げた。
「人間界に行っていた奴らがどうやら戻ってきたようだ」
男の言葉が何を意味しているのか皐月は直ぐに理解した。
「へ~、思ったより早かったわね。それで彼らは目的を果たして戻ってきたの?」
「いや、“奴”を連れて帰っていないところを見ると
どうやら失敗してきたようだ」
失敗という言葉に皐月は少し呆れ顔。
「フフッ、たかが人間の捕獲に失敗するなんて、あの人たち、思ったより大した事ないわね」
皐月の言葉に男の眉間が少し動いた。
「皐月、奴らを甘く見ると痛い目を見る事になる」
「ご、ごめんなさい…」
「奴らの力は実際に戦った俺が一番良く知っている」
そう言うと男は自分の顔を触った。
「傷がまた痛んだの?」
男の顔には右目から頬に向かって、鋭利な刃物で斬られた傷がある。その傷が元で男は右目の視力を完全に失っていた。
「フッ、奴らの事を思い出すとこの傷が疼く」
男は笑みを浮かべる。その笑みはどこか妖艶な雰囲気を漂わせていた。
「奴らとまた関わる事になるとは思わなかったが、これは運命というものだろうな」
「フフッ、私も貴方から話しを聞いていたから、“彼”が重要な役割を担っているて知った時は驚いたよ」
男は男性をゆっくりと地面に寝かすと立ち上がった。
そして決意に満ちた声で言い放つ。
「今度は俺たちが勝つ。俺の計画のもはや誰にも邪魔はさせない」
そう、この男の計画こそ、
後に全ての世界を巻き込む大きな戦いへと繋がっていく事になるのだった。