幽☆遊☆白書~2ND STAGE~ #060「喜多嶋麻弥(大会編・前章)」
ーー皿屋敷市・とある居酒屋
(喜多嶋麻弥か…)
意外なところから、喜多嶋麻弥の名前が出てきた事に、蔵馬は内心かなり驚いていた。
喜多嶋麻弥とは、蔵馬が中学生の時の同級生の名前である。
彼女とはクラスメートであり、蔵馬にとっても仲の良い友人の一人であった。
オカルト好きで、元々霊感も強かった彼女は、蔵馬に興味を持ち、そして彼に好意を抱いていた。
蔵馬と接しているうちに妖怪の姿まで見えるようになった彼女は食べれば食べるほど強くなる妖怪・八つ手の起こしたある事件に巻き込まれた。
※単行本KC7巻を参照
(彼女の記憶は俺が奪った。俺への想いも全部)
蔵馬の目の前では、海藤が柳沢の話しを聞いている。
彼は聞き上手だ。
それに話しを聞き出すのが上手い。
「それで、ヤナは告白とかは考えていないのか?」
海藤の眼鏡がキラリと光る。
「そこまでは考えてないよ。確かに好きだけど、遠くからたまに見かけるだけで満足だ。それになんかわからないけど、なんとなく彼女には近寄り難くてな」
柳沢の答えに海藤の目が据わる。
どうやら海藤もだいぶん酔いが回っている様子。
「情けないぞ柳沢。それで満足するな。勇気を出してここは告白した方がよい」
「いやいや海藤、無理だよ」
海藤と柳沢の恋愛談義は続く。
(あの様子だと二人とも今日の記憶は残っていないかも)
二人の様子を楽しそうに蔵馬は眺めている。
(喜多嶋は、中学を卒業して直ぐに俺の前から姿を消した。風の噂では、遠くの県外の高校に通っているとは聞いていたが、またこの街(皿屋敷市)に帰ってきていたんだな)
ここで蔵馬はハッとなる。
喜多嶋麻弥の名前が出てきてからつい彼女の事を考えてしまう自分に気付いたからだ。
それは何故なのだろうと考えてみる。
(彼女の記憶を奪った事への罪悪感か?)
蔵馬は目を閉じると笑みを浮かべる。
(いや、それは違うな。彼女の名前が出てきたから、ただ、少し昔の事を懐かしんだ。ただそれだけの事だ)
ーー翌日
蔵馬は、昨日柳沢に手伝ってもらってようやく完成させた資料を皿屋敷市内にある、畑中建設の下請け業者の事務所に届けに来ていた。
「確かに受け取りました。これを元に直ぐに作業に取り掛かります」
下請け業者の現場責任者の手に資料を渡した。
これで魔界に行く為にやらないといけない一番大変な仕事は片付いた。
後一日あれば仕事は全て片付く。
柳沢に手伝ってもらったおかげだ。
大会にはギリギリになるかと思われたが、これで少しは余裕をもって魔界に行ける。
蔵馬は安心した顔で事務所から出た。
(これからどうするか。会社に戻ってさっさと仕事を片付けるか、現場の様子を見に行くか)
考えながら来た道を戻る。
「お~い蔵馬さ~ん!!」
誰かが近くで蔵馬の名前を呼んでいる。
南野という名前ではなく、本当の名前で呼ぶ者は限られている。
声の主を見つけた蔵馬は、ニコリ。
「螢子ちゃんじゃあないですか。久しぶりですね」
声の主は幽助の幼なじみの雪村螢子であった。
螢子が笑顔で駆け寄ってくる。
「こんなとこで会うって珍しいですね。もしかしてその格好は今仕事中?」
「今、ちょっと関連会社に用があって、丁度さっき終わったとこなんだ」
螢子は物珍しい顔で蔵馬の姿を上から下まで見る。
知り合いには珍しい畑中建設の制服ともいえる作業着姿だからだ。
「蔵馬さんのこんな姿見るの初めてだから、ちょっとびっくりしちゃった」
「フフ、この姿で初めて知り合いに会うとみんなそう言いますよ。螢子ちゃんこそこんなところでどうしたんですか?」
螢子の手には何か買い物をしたのか、小さな紙袋を胸に抱き抱えている。
「ちょっと買い物」
螢子はそう言うと紙袋から中身を取り出すと蔵馬に見せた。
「それは毛糸。へ~螢子ちゃん、編み物とかするんですね。幽助に編んであげるんですか」
「え、ち、違いますよ。これは編み物を始める為に、練習用に買っただけで、幽助にあげるためじゃあないです!!!」
螢子は顔を真っ赤にして否定したが、口をモゴモゴさせている。
「でも…せっかく作ったら誰も使わないのはもったいないから、出来上がったら幽助に押し付けちゃうかも」
蔵馬、ニコリ。
「やっぱり幽助の為じゃあないですか」
「もう、蔵馬さん、恥ずかしい事さらって言わないで欲しいな」
照れた顔で蔵馬に抗議する。
「はは。ゴメンゴメン」
ここで螢子があっと言って何かを思い出した。
「幽助は大会があるとかどうのこうの言って、魔界に行っちゃったけど、蔵馬さんは行かないんですか?」
ちゃんと魔界に行くということは、螢子に伝えているんだなっと蔵馬の脳裏に幽助の顔が浮かぶ。
「本当は幽助と同じ日に魔界に俺も行くつもりだったんだけど、ちょっと仕事でトラブルがあってその解決中なんだ。でもあらかた片付けたから俺も近いうちに魔界に行くつもりだよ」
「そっか。なんか聞くと大変な大会みたいだから、幽助に会ったら無理するなって伝えといてください」
螢子の顔を見ると幽助の事を心配しているのがよく分かる。
「幽助には伝えとくよ」
螢子、ニコリ。
「蔵馬さん、ありがとう。ところで前から聞きたかったんだけど、蔵馬さんって彼女とか好きな人はいないんですか?」
「えっ!?」
突然の螢子の意外な言葉に驚く。
(この子はいきなり何を言い出すんだ…)
「なんか蔵馬さんがモテそうなのは分かるけど、蔵馬さんって異性に関してどこかミステリアスなところがあるから、実際どうなのかって、ちょっと気になっちゃって」
「そんな人はいないですよ。今は親父の仕事が楽しいから仕事が恋人になるかな」
一瞬、蔵馬の脳裏に喜多嶋麻弥の顔が過ぎった。
(うん?今のは…)
蔵馬の回答にちょっと不満気な螢子。
「なんか、上手くかわされちゃったな」
蔵馬、ニコリ。
「そんなことないですよ、螢子ちゃん」
ふ〜うっと軽く溜息をつく。
「その笑顔は反則だなぁ。まあいいですよ。じゃあ蔵馬さん、仕事の途中に引き止めてごめんなさい。私はこれで。幽助に宜しく伝えといてください」
「分かった。幽助には伝えとくよ」
螢子は紙袋をまた大事そうに抱き抱えると去っていた。
その後ろ姿を眺めながら蔵馬は考える。
(なんでまた喜多嶋の顔が浮かんだ?彼女の名前を昨日聞いたからか?)
螢子と別れた蔵馬は、とりあえず会社に戻って残りの仕事を片付けることにした。
下請け業者のところから畑中建設の事務所がある場所まで電車で二駅。
電車に乗り移動。
電車に揺られながら考える。
(そろそろ車の免許を取った方が良さそうだ。市内を移動するなら車の方が楽だ)
免許について色々考えていたらあっという間に最寄りの駅に到着した。
蔵馬は電車を降りると直ぐに改札口に向かう。
少し歩くと改札口が見えてくる。
丁度その時、反対側から改札口に向かってくる一人の女性の姿が目に入る。
その姿を見た蔵馬は思わず足を止めた。
女性の視界にも蔵馬の姿が入る。
そしてお互いの目が合う。
時間がそこだけ一瞬止まったかのように二人は動かなくなった。
それはまるで二人だけの世界のようだった。
そして女性の口元が緩み、少し微笑んだ。
「…南野君」
………。
自然に彼女の声を聞いたら笑顔になる。
俺の名前を呼ぶその声は昔と全く変わっていない。
懐かしさと一緒に別の感情も同時に抱いた事を俺は感じていた。
その感情が何なのかはここでは話さないが。
あの事件で彼女の記憶と俺への想いを俺は奪ってしまった。
今更かもしれないが、いつか彼女に俺は償えたらと思っている。
こうしてまた再会が出来たのだから。
俺も笑顔で彼女の名前を呼んだ。
「喜多嶋…」
動き出した時間はもう止まらないのだ。
続く